2009年1月10日土曜日

Psychology

今は午前2時。眠れない訳じゃないよ(笑)寝ていられない、とも言えるかも。予定通りessayの作文中。今はその間の気分転換。眠くはないけど、おなか減ったかも。仕方ない、コーヒーでも飲もうか。

今日のテーマは心理。ずいぶん昔に前にどこかで読んだ本に心理的な認知に関して“人は自分の周りの世界を理解する上で、物事に意味付けをしながら認知を行う”って趣旨の内容があったんだよね。意味付けをしないと世界を把握することを人間は出来ないって。例えば、目の前にあるNote PCを、“スクリーンがあって、キーボードが何十個かそれぞれの機能を持って、中には半導体(?)が入っている…道具”とかって人はいちいち考えてなんていなくて、単に”Note PC”ってラベル付けをして理解していると。この理由は、自分の周りの世界のひとつひとつを描写的に認識することは、人間の(情報処理的な)能力上できないから、って。情報が多すぎると理解できない、と。

このプロセスで行われる意味付けの一つの危険は、人は周りの出来事を単純化して理解しようとするってこと。シンプルな例は、善vs.悪。今の自分の専攻のPeace Studyの関連で言えば、世の中を敵と味方の二文法で理解しようとする傾向にあること。でも、実際には敵かもしれないけど味方かもしれないって微妙な状況も多いと思うんだよね。いわゆるグレーゾーン。人はこの曖昧さを、“理解できない”から嫌がる(拒絶する)って。別名、白黒はっきりさせたがる、ってことだと思う。

で、最近思ったのが、この心理学の側面も結局西欧の価値観が中心なのかな?って。例えば、日本(人)って曖昧だ! って世界でよく言われているよね。批判の一環として。これに“全てを善悪の二分法で割り切って理解しようとする君たちの考え方には、単純で分かりやすいってメリットもあるけど、世界を実際よりも単純化し過ぎて(間違って)理解してしまう危険もあるんだよ”って逆に抵抗してもいいと思う。敵か?味方か?って聞かれたら、「味方かも知れないけど、敵かもしれないよ。気をつけろ(笑)」って返してみては? あ、これじゃただの嫌がらせか。。。

とは言いつつも、自分はどっちかと言うとストレートに主張するのが好きかも。どうなんだろ?分からない(笑)

さぁ、戻ろう。後5日!

ではでは。またね。
Tom