2018年10月20日土曜日

心の指し示す方向へ


ここ数年、考えることは少なかったんだけど、
久しぶりに自分は何をしたいんだろ?と考えてみた。

で、ちょっと意外だったのは、思ったよりも全然迷わなかったこと。もう少し、悩むかな、とも思ったりもしたんだけど。

ほぼ即決な感じw

あまり何かを決めるときに即決するタイプではなくて数日は考えるタイプなので、そう行った意味ではちょっと意外。

自分がやりたいと心から思えることをした方がいいんだ。やりたくもないことをしていると心が疲れてしまう。それにやる気だってでない。もちろん、時にはやりたくないことだってやるし、それをやらなければいけない時もある。

でも、やっぱり自分がやりたいことって大事なんだと思う。全てはその為にある、ってくらいに。

自分自身を考えても自分がやりたいことって、確かに漠然としたものなのかもしれない。

でも、それに一歩づつでも近づいていると思えることじゃなければ、自分の時間を、人生を費やすことに意味は見出せない。

それが判断基準になっているんだろうなー、と。

どうなるか全く予想もできなくても、楽しそうな方へ、ワクワクする方へ進んで行きたい。

10年前、20代後半に、大きく進路変更をする時になかなかの属性変更で、どうなるんだろ?と少し考えたりもしたけど、まぁ、それでもその時もワクワクの方が勝ったから今に続いているんだけど、そういった迷いがちょっとだけ減ったのかな、ともw

まぁ、何も迷わないような状況ってそれはそれで危ういので、この先も自分がこれでいいのかなーと定期的に眺められる感覚はもっていたい。

それに悩むことも別に悪くはない。自分の心が迷っているなら、その迷いに向き合うのも必要だと思うし。そうなった時はじっくりと考えればいいさ。

そんなことを思ったここ最近。

ではでは、またね。

2018年10月19日金曜日

炎上プロジェクトのギャラリーになってはダメだ

地獄の景色のような炎上プロジェクトってこれまでいろいろ見てきた。

で、とても不思議なのが、こう言った炎上案件って、当事者はどうしているのか?というと、意外とただただ成り行きをギャラリーとして見守っているだけで、何のアクションも起こさない人が多い。

確かに、こう言った炎上案件についても、意外と「誰のせいでもない」と逃げることができるケースも多いんだよね。

いや、誰のせいでもないってことはないでしょ?と突っ込みたくなるかもしれないけど、意外と当事者になってしまうと「少なくとも自分たちのせいではない」という言い訳をしながら、自分たちは悪く無いんだ、となぞのセルフマインドコントロール状態に入っている。

と言っている自分もガチの当事者であまり自信がない時なんかは「こんなもんなのかなー?」と思いたくなってしまう誘惑にかられる時もある。でも、やっぱりそのうち、変だぞ?!という気持ちが強くなってくるんだけどw

燃えさかる炎(案件)をただただ眺めているだけのギャラリーの気持ち(言い訳)もわからなくはないけど、自分は傍観者になれない。性格的にw

え?!マジですか?!この道、ずっと進んで行っても断崖絶壁で道なくなりますよ?方針転換しましょうよ!と言いたくなってしまう性格。

こう言った状況で思考停止っぽい傍観者になってしまう人たちの特徴としては、命令というか指示というか契約、なんでもいいけど、少なくとも自分たちは自分たちのやるべきことをやっているんだ!とほぼ全員が答える。

そう、ある意味、自分たちでコントロール不能なそもそもの設計というか指示が間違っている、、、だから仕方ないんだ、と。

でも、もう、未来が見えないのにその仕事を続けるって精神的にツラくないですか?

そう言った時に、そもそもの設計が間違っていてうまくいっていないんなら、ちょっと修正しませんか?とか、もう中止にしませんか?と切りだす人って必要だと思うんだよね。

そもそもこの仕事を何のためにやっているか思い出しましょう、と。そこにつなげるために修正するか、つながらないなら中止して終わらせましょう、と。

無謀で未来がない命令に従う人って今の時代も意外と多いんだな。

人任せにしないで、自分の意思で考える、ってことをもっとするようになれれば、もっともっといい世界に近づける気がするんだけどな。

そんなことを思うここ最近。

ではでは、またね。

2018年10月18日木曜日

組織運営にメディエーターは必要かも


最近、平和学してた頃にやってたメディエーターっぽいことをする機会があった。組織を円滑に運営するには、メディエーターって役割って大切なのかも。

組織内での対立ってあちこちで起きている。もはや日常の風景とでも言えるレベルじゃないかな。

例えば、方針を決める本部と、サービス提供する現場の乖離とか。日本の本社と海外支社とか。本部は現場を何もわかっていない!ってセリフはあちこちで言われている。

理想的には、そういった対立が起きてしまった時は、なんで対立しているのか?お互いにガチでケンカすること自体が目的そのものではないよね? なんのためにこんなに対立しているんだろう、ってことを紐解いていくしかないんだと思う。

電話で話そうにも、電話のベルがなったら、それが試合開始のゴングのように口論が始まる、、、なんて不毛すぎる。。。

まぁ、普通に組織で何人かの人が集団を作っていれば、意見や考え方が違うのは当然なので、それが対立要因になることだってあると思う。

でも、そういった状況になりつつある、または、なってしまった時、もう当事者同士ではどうにもできない泥沼化していることもあったりするんだよね。

あ、この状況って、すっごく似ている。10年前の景色にw

平和学でもメディエーターって役割があったんだよね。いがみ合う二者がもう会話すらできない状況になった時に、第三者が間にはいることでポジティブな対話を促す触媒になる、という。

あくまで答えを導き出すのは当事者同士だけど、罵詈雑言で敵対するのではなく、いがみ合う状況を乗り越えるためにどうしたら今よりももっとよい状況にたどりつけるか?って対話を促す。

ポイントは対立している人たちとは別の第三者、ってところ。

対立している人たち同士ではまともな会話すらできないのだから。。。

で、(複数の人が集まる)組織には当然対立の火種はあるのだから、そう言ったものを解決するどちら側にも与しない存在って必要なのかもなーと。

まぁ、収益を生む部署ではないけど、逆に内部争いという不毛な消耗を防ぐコスト削減にはなるんじゃないかな、と考えればトータルではプラスになるのかも。

まぁ、こんなことを言っている自分も、自分自身が争いの当事者になってしまったら、誰か、メディエーターとして介入してくださいw

そんなことを思ったここ最近。

ではでは、またね。