2010年9月20日月曜日

民間軍事企業

ここ最近、久々に本を読む気になったり。

そこで手に取ったのが、3年近くも前に買って以来、手元には起きつつも放置していた本。。。なんで買ったのかは忘れたけど、たぶん、タイトルに心を惹かれたんだと思う。"Corporate Warriors: The Rise of the Privatized Military Industry"という本。訳せば“民間企業の兵士:民間軍事産業の勃興”と言った感じ。

まだ読み始めたばかりで全然読み切ってはいないんだけど、やっぱり本を読むのは楽しい。少しめんどくさくはあるんだけど(笑)

この前半では、民間軍事企業がなぜブームなのか? という考察が書かれていて、簡単に思い出せる限りでは
・冷戦後に東西の超大国の軍事費削減により約700万人の兵士が仕事を失った。
・以前ならどんな地域紛争も米ソの対立の枠組みの中でとらえられたためにそこに米ソが介入することによって軍事バランスが保たれていたけど、そのような介入がなくなったために、各地で内戦が頻発している。でも、現地の勢力は、軍事的には装備、人員とも不足している。。。
・兵士は市場にあふれていて供給は十分、そして内戦も頻発する世界で兵士への需要も旺盛。
などとなぜこのビジネスが起こったか? を扱っている。

そして、さらに、90年代以降、ソマリアの米兵虐殺などの実例をもとに、“自国民(米軍兵士)が殺されることの政治的リスクが高まり”、(西側の)政府の軍隊が治安維持に積極的に介入できなくなった現状があると指摘している。そして、政府が介入しないのであれば、企業としての利益を追求する民間企業には新たなビジネスチャンスであると。

ここまで読んで思ったのが、民間軍事企業の職員(実際には戦闘員)の死傷者ってどんな風に扱われているんだろう? と。例えば、アフガンでのアメリカの死傷者の報告の対象に含まれているのかな?? と。でも、ニュースで聞く情報って、「アフガンでの“米軍”の死傷者」って言いまわしだった気が。

これって???

そう。民間軍事企業の職員は、実質的には戦闘を担当したり、治安維持を行う兵士と同等の役目を果たしていても、言葉のレトリック上は、“米軍”の兵士ではない。。。あくまで契約の民間人。

ちらっと気になって見てみたら、ちょっと古いけど2007年のロイターの記事によると、「イラクやアフガンで活動する民間軍事企業の職員の死傷者について、アメリカの国防省や政府機関は正確な数字を把握していない。」と書かれていた。つまり、把握していない数字を公表することなんてできないんだから(というか公表する予定もないから把握しない、とも言えるのか)、やはり通常のニュースで報道される死傷者には含まれていないみたい。少なくとも2007年の時点では。

政治的、だよね。

まぁ、そして、利潤追求が全ての目的である民間企業、ってのも表しているとは思うけど。

これってさり気に日本もやっているのかな?

だって、言うまでもないけど、仮に自衛隊をアフガンとかに派遣して、その中から死傷者が出たら、連日ニュースになって、派遣を決定した人は、“政治的に”責任を問われること確実。。。

でも、ここで、また日本政府が“治安維持のため”の資金を現地のアフガンとかの政府に拠出して、そのお金で(例えばアメリカの)民間軍事企業を雇って、現地での治安維持とか反政府勢力の掃討にあたらせたら?? その職員から死傷者が出ても(結果が同じ=日本政府のアクションによって派遣された“人”が死傷する)、日本では全く違う結果になると思う。かなりの可能性で、日本ではニュースにすらならないんじゃないか? とも。

汚い世界だ。。。まぁ、世界は汚いとはもう疑う余地はないけど(笑) そして、別にそれを否定できるわけでもないし。必要とされるから、(民間軍事企業とかは)存在しているわけなんだし。これを道義的とかナイーブ過ぎる感性で否定して、何もしなければ、もっと凄惨な結果を招くかもしれない。

そう思えば、利用できるものは利用する、と考えなければならないと思う。何が究極の目標なのか? を考えて行動しなければいけないと思う。

あれ? なんかいつものとりとめのない文章が再来したね。。。
果たして読んでくれている人に伝わるかな? 伝わるといいな。

ではでは。またね。
Tom

2010年9月18日土曜日

相互依存の深化の先は…

たまには変わったことを書いてみよう。

今日のテーマは相互依存。世界レベルでの。

世界が狭くなった、とか経済の需給とかの話で、世界は相互依存状態にある、って言われるよね。もちろんその通りだと思う。

で、思うのが今の日本(とか先進国)が当然関わっている途上国のこと。

またありふれた話になるけど、世界の人口は約60億人(もう70億に届くのかな?)。その中で貧困状態にある人達が約13億人。

そして今なお世界人口は増加中。2025年には90億人になるとの予測もある。。。

今でさえ資源が分配の不備も合わさって不足(必要とされるところに必ずしも合理的に配分されていないし、富めるところでは飽食状態だし)しているのに、この増加分(30億人)を安定的に養うことなんてできるのだろうか。

更にこの人口増加の大部分は途上国でのもの。そう考えると、現在の貧困層13億人に加えて、増加分の人口のかなりの部分は貧困層を構成することになるのではないだろうか。人口増加によって、資源の分配がより厳しくなれば、“今は貧困層には分類されてはいない生活を送っている人達”の中にも、貧困層が広がってしまう恐れもある気がする。

そうすると、5人に1人(13/60)と言われる貧困層が人類の半数近く(43/90)となってしまう悪夢のような状況も現実に起こりえるのでは? と思えてしまう。もちろん、あまりに単純化しすぎた考え方ではあるけど。でも、地球の温暖化で食糧の供給が不安定化(減る方向に)していくことや、干ばつの増加によって水資源が枯渇していく、ということを考えると、あり得ないことではない気がする。


少し視点を変えて、2010年の今、世界は(貧しいながらも)平和なのか?

もちろん違う。

冷戦終結から、20年が経った今日、世界中では紛争とか政情不安が当たり前のような状態にある。先進国と言われる国々を除く地域の多くでは、現地の政府が自国の安全保障ですら満足に維持できない(自国の治安を維持できない、自国内に政府軍より強力な武装反政府組織がいる、とか)。加えて、従来、植民地化をする側の立場で決められた従来の国家という区切りからの、分離・独立を目指す内戦も冷戦後に増加している。

今後、ただでさえ不安定な地域が、人口増加と食糧不足によって爆発的に増加するという悪夢のような状況が訪れるのではないだろうか。しかも、それは遠い未来の話ではなく、あと10数年という比較的“近い”将来に。。。


そして、冒頭でも触れたけど、世界は相互に依存している。誰1人として1人では生きていけない。

世界が今よりも混沌とし、紛争があちこちで頻発してしまったら、今の先進国と言われる国々は経済的な発展や利益を享受し続けることが出来るのだろうか。そのような事態を目のあたりにするまで、事態を放置し続けてしまったら、それを鎮静化するために多大なコストを払わなければならなくなる気がする。

ルワンダの虐殺やコソボ紛争で、事前の予防措置が不十分であったために、いったん紛争が始まってしまってからそれを鎮静化するのに多大なコストと犠牲を払ったことを繰り返してしまうのだろうか。

もちそん、そのようなことを起こさないために、貧困削減とか政治体制の安定化の支援などの活動が行われていて、とても重要なことだと思う。

こんなことを改めて考えて思ったのが、自分が現在の進路(まだ仕事見つかっていないけど(T-T) )を目指した当初の思いは、“紛争地とか発展途上国で苦しんでいる人の役に立ちたい”、という外向きのものであったけど、もっともっと広い視野に立てば、世界が安定化することに貢献できるならば、それは巡り巡って、自分の国(日本)のためにもなるのかな~、って。大事だよね。

なぜかそんなことをふと思ったよ。仕事を見つけないと!

ではでは。またね。
Tom

2010年9月8日水曜日

恐怖の3年目(ToT)

最近まったく何もする気が起きなくてダラダラしていた。まぁ、“ここ最近”限定の状態なのかは疑わしいけど(笑) やっぱり暑さかな? 夏は好きだけど、今回はさすがに厳しい。。。ここまでの猛暑だと海沿いじゃなきゃやっていられない、って感じ。

どこかの南の島移住計画が発動! とかってならないかな。
まぁ、それは置いといて。。。

そうそう。気付けば9月。恐ろしいことに去年日本に帰ってきたのが10月だからもうすぐ1年になってしまう。更に更に恐ろしいことは、とうとうこの9月で無職歴2年が経過(笑)

特に新しく応募してみたい、と強く思う職種もなかったり、と危険な心模様だったりしたり。。。

でも、さすがにこれ(3月から継続審査中のやつ)1つじゃ不安な予感。チラッと見た感じでちょっと心が引かれる研究員ぽい職種にも応募してみようかな~とか思ったり。でもこれって日本での仕事になりそうな予感。そこまでイヤではない気もするけど、外に行きたいって思いからは外れちゃうよね。悩ましいところだ。まぁ、送るだけ送ってみようかな。ヒマなんだし。

ではでは。またね。
Tom