2017年10月22日日曜日

状況に対する責任、その意味

ここ最近感じていたモヤモヤ感にスッとしみた言葉。

「結果に対する責任」という言葉はよく聞く。自分も経営者としての立場ではないけど、社内のプロジェクトの責任者をしているなかで、プロジェクトの結果に対する責任はもちろん自分にある、と感じている。

でも、ここ最近のできごとは、責任が自分にあるという自覚だけでは、足りていないんだという自分の未熟さを知った。

「結果に対する責任」を果たすには、それに至った「状況に対する責任」をしっかりと果たさなければいけないのだと。

こういった話になるのは、悪い結果、につながった場合。

で、そういった望んでいなかった結果にいたる状況について、自分自身もそこに深く関わっていたのに、、、ということ。

自分自身のここ最近のモヤモヤの原因は、まさにここ。

もっと言ってしまえば、全く1ミリも想像もしていなかったことが起きてしまって、それが自分の計画の中でとても重要だった、ということ。

結果としては、当初の計画を大きく変更しなければいけないのだから、それに関わっていた自分には、今の「結果に対する責任」があると考えていたんだよね。

そのできごとは、人によっては、まぁ誰も予測もできない予定外だよね、といってくれる人たちもいるようなくらいに予想外のできごと。でも、それは、自分としては、どうにもできなかったことだから仕方ない、という風には思えなくて、そういう結果を招いたことは、自分自身に至らなかった未熟さがあると感じていた。

でも、それはつまり、どういうことなんだろ?どうしたらもっと先のステージに自分自身が進めるのか?ということは分からずモヤモヤしていた。

「結果に対する責任」を果たすには、それに至るまでの「状況に対する責任」をしっかりと果たしている必要があるのだと。その「状況に対する責任」とは、あらゆる可能性を認識して、それに対する準備をしていること。

つまり、青天の霹靂のようなできごとが起きないように準備すること。そのためには、
・どうしても起きて欲しくないできごとが起きそうになった時にその兆候に気づけること。
・そういった兆候を把握した時に、それを回避するための適切な対応がとれること。
が必要なのだと思う。

そういった責任をしっかりと果たしてからじゃないと、本当の意味での結果に対する責任なんて負えないんだろうなーと感じた。

この間の湘南塾http://shonan-juku.comのしくじり先生の回で、自分がプレゼンをさせてもらった内容に、参加者の先輩から、「それって全然しくじりじゃなくない?」と言われた時に、自分としてはもっとうまくできたかも知れない、という思いはあったけれど、確かに振り返って見れば、自分の考えとして、その時に起きてしまったネガティブな可能性も織り込み済みな上で、それでも目的を達成するためにはこういった行動を取らなきゃいけなくて、その結果として、そういったネガティブなできごとも起こりえるなーということを想像していた。

そういう場合には、あらかじめ予見した上で行動していたのだから、本当の意味でのしくじりではない、とも。だから、その時の結果をダメだと言われたら、まぁ、その結果に対する責任は自分にある、というのもとてもしっくりきてた。

で、自分が本当に犯した最近のしくじりは、全く予想もしていなかったネガティブなことが起きてしまったこと、なんだと。

さらにもどかしいのは、そういうネガティブなできごとが起きたという現在を知っているにもかかわらず、過去の自分がどういうアンテナを張っていればでそういうことが起きるかを予見できたのか?予見できたとしてそれに対する対処として何ができたのだろうか?ということが、今の今になってもわからないということ。。。

そいういう意味で、今の自分には視野の広さがまだまだ足りていないし、視野が広がったとしてもそれに対する適切なアプローチを見つけ出す力も足りていない、ということを実感した最近。

まだまだ目指すべき高みは遠いな。もっと前に進めるようにしなくては。

ではでは、またね。

2017年10月14日土曜日

仲間

ブログを書くときはだいたいタイトルが先に浮かんで書き始めるんだけど、今回は書きたい内容は浮かんでいるのにタイトルがしっくりこない。最後まで書いてみて、考えよう。

自分が好きなことというかやりたいことをやっていて、楽しいことばかりではない。もちろん、それでイヤになって進むのをやめる気はないのだけど。

今の仕事は、一人だけではできなくて、自分がやりたいことのために、周りの人を巻き込んでいる。

一緒にやっていこうとすれば、相手との距離もどんどん縮まっていく。まぁ、自分の一緒にやっている人はみんな同世代のおっちゃん達だけど(笑)

うまく進んでいるときもあれば、うまくいかないときもあって、そういった時は一緒にやっていた仲間の人生にも影響を与えてしまうこともある。

それは苦しい。正直に。

これからも一緒にやっていこうとする仲間が増えれば増えるほど、そういったことも増えていくのかもしれない。事業がうまく進んでいても、相手の、そして自分の人生の中で、悩みがなくなることはないだろうから。

でも、ここ最近経験して思うことは、仲間が楽しく一緒にやってよかった、と思えるようにしていきたい一方で、それが叶わなかった時には、それも受け入れることができるようにならなきゃいけない、と。

自分が誘わなかったら、連れていこうとしなかったら、違った結果になっていたのかもしれない、ということも考えたりするけど、でも、相手の人生を壊してしまおうと思って誘ったのではないのだから。同じ目標に向かって、突き進んだ結果なのだと。

もちろん、再び、一緒に進めるようになったら、また、一緒に進みたい。

そんなことを思うここ最近。

ではでは、またね。