2019年2月5日火曜日

メッセージ:ほんとに伝えたいことが伝わらない


「なんでブログ書いてるの?」


そんなことをふと聞かれた。

確かに、なんで書いてるんだろ?


「不定期の日記のような感じで自分自身で読み返すため、かな。」


「じゃあ、なんで公開してるの?」


「確かに。。。うん、やっぱり自分が考えたり思ったりしていることを伝えたいんだ。」


海賊ライフhttps://piratelife.jp/)のライターになったのも同じ理由だ。

自分自身が心の底からやりたいと思っている道を自分の意思で選ぶ。

他の誰かに望まれたからではなく、自分はどうしたいのか?ということを本気で考えて、そういった選択をする人が増えたら、世界はもっと素敵な場所になるだろう。



では、こういった人(仲間)を増やすにはどうしたらいいのだろう?



ここがなかなか悩ましい。正直、まだ答えは見つからない。

それこそ、多感な中学生とか高校生といった時期にカッコいい大人に出会えること(人生初のヤバい大人との出会い)は、一つのきっかけなのだと思う。

だから、体が元気なうちは、やりたいことを自分自身でやりきって、おじいちゃんになったら子どもたちに教える先生になりたいな、と思っている。

それまで、ちゃんと子どもたちに夢を持って人生を生きて欲しいと伝えられるカッコいい大人に自分もならなくては、というのが私自身の今のモチベーションにもなっている。



でも、今まさに関わることが多い「思春期」を過ぎてしまった大人たちの世代には、どうしたらこのメッセージは刺さるのだろう?

自分の心に素直に従ったら、何をあなたの心は望んでいるの?

それに向かって、自由に進んでいけばいいんじゃない?

本気で望むなら、そしてそれを自分が手伝うことができるなら、私は役に立ちたい。



自分がこれまでに関わってきたクライアントの中で、会社名を見た瞬間からぐっと心をつかまれた「株式会社 正義の味方」のテーマソング(東北合神ミライガー)の歌詞も同じことを言っているな。

「立ち上がるなら~手を貸そう 歩き出すなら~背を押そう」



そう、「自分の意思」で生きることを選んだ人を支えたいんだ。


でも、この「自分の意思」というのが今でも難しい、と感じる。


何をしたいの?と聞いた結果としての答えとして、「これがしたいです」という場合。


答えを出すことを求められているから答えた場合。三択クイズで選ばなければいけないから、とりあえず「A」と答えたような場合、その回答に本人の意思は反映されていない。

とりあえず質問者(私)が望んでいるであろう選択肢の中から答えを、自分の意思ではなく、質問者(私)の意図をくみ取ってしまって答えてしまう人もいるのだと思う。

そういった時、本人の意思として「言葉」では表明されていても、それは「心」から望んだものではない。



自由に自分の意思で何を望むのかを考えて生きて欲しい、と伝えたかったのに、そのメッセージに対する回答が、私の意思を反映したものになっていたのなら、全然、メッセージが伝わっていないではないか。

だから、本当に自由な意思で生きることを味わってほしい、と思うなら、何を望むのか?とか、そういったことを問いかけてはいけないのかも知れない。

無理やり立ち上がらせたり、背を押したりしてはダメなのかも。

あくまで、(自分の意思で)「立ち上がり、歩き出す」なら、それを支えるべきなのかも知れない、と。

そんなことを思ったここ最近のできごと。

ではでは、またね。
脇坂