2009年1月3日土曜日

Dialogue with terrorism

うぅ。残念ながら進まない。

今日の朝から借りてきた本を開いてはいるんだけどね。“テロリストとの交渉はしない”という立場に賛成か?と言われれば、反対だねってのは自分のポジションなんだけど。

だって、交渉しないってのは悪く言えば「話の出来ない相手とは交渉しても無駄」的な感じがして、それは傲慢な考えだと思う。(交渉しても無駄な)相手に言うことを聞かせる(もしくはテロ行為を止めさせる)方法は、交渉と言う選択肢を排除している以上、無視か(武力or経済)制裁しか残らないと思う。でも、そんな選択肢をとっても状況は根本的に改善しないよね。一時的に抑えることはできるかも知れないけど、原因に対処していない以上いくらでも次のテロが生まれる気がする。

別に“交渉する”= “譲歩する”とは限らないんだから、対話はすべきだと思う。話の出来ない相手として看做す前に、いわゆるテロリストと言われる人が、なぜテロリストになる道を選んだのか?ってことを考えるべきだと。別に(テロリスト以外の)他の選択肢もあったはずなのに、なぜ人がその道を選んだのか?ってのは考えなければいけないと思う。相手が何を考えているのか、なぜそう主張するのかという根本的な原因がお互いに分からない限り、現状を超えることはできないよね。対話を排除するってことは、自分の中で作られた“相手のイメージ”と自分の中で勝手に格闘するだけになっちゃうんだから。本当の相手の姿は見えてこないどころか、想像の中で勝手に作り上げられるイメージは得てして“歪められた悪いもの”になるんだし。

そう言えば、話は変わるけど、日本(特に政府)って交渉が下手だよね。自己主張が足りないって。なんで自分の意見を言わずにいられるんだろ?と軽く不思議。誰かの意見に全面的に賛成なんてほとんどあり得ないと思うんだけど。なんかしらの意見はあるハズ、と。別に外人がディスカッションでごちゃごちゃ盛り上がっていても、“いいからおれの話を聞け”って言えば自分の考えを伝えることはいくらでも出来るのに。なんとなく残念。

今自分がやっているPeace Studyも所詮西欧の学問って批判されている。つまり、Peace StudyはEurope/USで発達した学問だから、他の文化とか歴史的背景に関する価値観に対する配慮が欠けていて、それがPeace Studyが実際の紛争を止めて平和を築けないでいる原因の一つだと。なら(西欧ではない)日本はこれに少しは貢献できる気がする。経済力的に十分なバックグラウンドもあるんだし(紛争解決にはコストがかかるのでそれを負担できるか?は結構現実的に重要な要素だと思う)。むしろ“出来る”というよりは“すべき”って感じだけどね。まぁ、自分が日本人的な価値観をどれ程持ち合わせているかは不明だけどね(笑)

そうそう。なぜかさっき近所の香港人(本人的には中国人と言うよりは香港人という自覚らしいので香港人と呼ぼう)の友達(前述の18歳の男の子)と食事をしていて、なぜかおれのことを「中国人と日本人のハーフ」って勘違いしていたよ。「えぇ?おれ日本人だよ。知らないの?」って言ったら、「パスポートは日本国籍か?」って。一応記憶のある限りでは自分は両親とも日本人だよ(笑)彼がなぜ自分を中国人とのハーフと思ったのか理由を今度聞いてみよう。軽く気になる。

うん。やっぱりEssayに戻りたくないのかかなりの長文。しかもいつもながらとりとめのないことを。さあ観念してreadingを続けようか。

ではでは。またね。
Tom