2019年3月15日金曜日

誰かに「生かされている」のではなく、自分の意志で「生きる」ということ


去年の夏ころから取り組んでいた仕事が一段落して、帰路についたプノンペン空港で、ふと気になってひさしぶりに読んでみた「サンクチュアリ」というマンガ。

数年前に初めて読んで、おもしろかったのは覚えているけど、なぜか急に読みたくなった。

サイドストーリー的に展開する舞台がカンボジアなのも縁なのかもしれない。

深夜便のフライトの中でも、寝落ちする直前まで読んで、家についても一日読みとおしてまさかの完読w

「なんでわっきーは今の仕事してるの?」

よく聞かれる質問。

「日本の大人たちがぜんぜん楽しそうじゃない。死んだ目をしていて仕事とかを大人になるってこんなもんだよ、と諦めたような感じで生きているのがイヤだ!そんな目をして死んだように生きるくらいなら、自分がやりたいと思えるようなことをして楽しく生きていこうよ。」

って思うんだよね。

で、同じメッセージがこのサンクチュアリにもあるな、って改めて発見w

誰かに生かされているのではなくて、自分の意志をもって生きていこうぜ、と。

そして、もっとグッとくるメッセージは、教育が大事だ、と。

教育で人はどのようにも調教できてしまう。だから、自分の意志で考えることができる人を育てることってとても大事だ。

ここが難しいところでもあるけど、誰かの受け売りで「自分の意志で何かをしている気になっている人」も多いのも事実だと思う。

そういった人には、何をしたいのか聞いても無駄というか、どうやって話しかけたらよいのか、自分でもまだわからない。

誰かに言われたから、誰かがそうしているから、誰かがそうすることを望んでいるから、自分はこれをしたい、という人には自分の意志がないと言い切ってしまっていいのか?

でも、それって、誰かの意志に生かされている人、ってことだよな、とも思う。

そう思うと、やっぱり違うのだと思う。

自分の意志で何をしたいのか、どういったことをして生きたいのか。

それを大事にして欲しい。

大事なことは、周りなんて関係ない。環境や状況が変わったからといって自分自身の夢(目標)が変わるわけじゃない。

環境や状況が変わることがあっても、その中で、自分自身の夢を実現するにはどうしたらよいのかを考えることが大事なんだ。

自分自身についても、環境が変わりつつある現状、それはそれで大きな出来事だけど、とはいっても、やりたい夢は変わらない。

それを実現するためにベストな選択をするしかない。

サンクチュアリは90年代の時代背景で描かれているんだけど、そこから、20年経った、今のカンボジアは当時とは全然違う世界が広がっている。そして、この先の将来ももっともっと希望が持てる世界になりそうだし、そうしていきたい。

その一方で、日本をみると、ちょっと悲しいかな。90年代の時代背景で書かれたこのサンクチュアリが問題提起して描いている状況が、今も相変わらず続いている。。。これも変えて行きたい。

自分は日本が好きだ。でも今の日本は自分が好きな日本ではない。未来にもっと好きになれる日本を創りたい。

そんなことを思ったカンボジアからの帰国日。

ではでは、またね。