2009年1月5日月曜日

負の連鎖

再び始まってしまったね。いつまでも断ち切れないのか、この負の連鎖。

ギリシャを旅行中になんとなくIsraelによる空爆が行われているらしいってのはニュース(ギリシャ語だったから今一つ詳しくは分からなかったけど)で見たけど、遂にIsraelの地上軍がGazaに侵攻。

自分が今の紛争解決と言われる領域に興味を持つようになったのはこのPalestine-Israelの紛争がきっかけ。前にもちらっと書いたけど、中学生の頃にニュースでやっぱり今日みたいにここでの紛争が延々と流れていて、このいつまでも続くと思われるような紛争に終わりは来ないのかって。それから15年は経ったけど、やっぱり今日流れるニュースも変わりがない。Endlessなのか?

その頃は、当事者同士が完璧に疲弊しきるか、第3者が強制的に介入するしかこの紛争は止められないのでは?とも思っていたけど、その見込みすら無い気が今はして軽い無力感。Israelが疲弊する見込みはなさそうだし、この一世紀近く続いている紛争にあえて介入するコストを誰が負担するのか?と考えると誰もいない気もして。

この半世紀の間に何も進展が無かった訳ではない。Wahat al SalamというPalestineの人工的な村では、パレスチナ人とユダヤ人が共同で生活を営むという試みも行われている。相互理解を深めて相手に対する認識を変えよう、と。でもこのような試みは、双方の側から非難の対象ともなっている。自分の敵と共存しようとするなんてなんてことだ、的な内容らしい。なぜ相手を敵としてしか看做せないのか?相手を認めてしまうと今まで自分(のグループ)が主張してきたidentityが崩れるからか?どうして危機感を煽る方向に人は行ってしまうのだろう。考え方や価値観は違うけど、敵ではない、という認識を持つのはそんなに難しいことなのだろうか。現状を見ると、途方もなく困難なことのようだけど。

Israelが過去現在のように強硬な姿勢を貫ぬくことができるのは、言われているようにUSの後ろ盾によることが大きいと思う。(一方的にIsraelに肩入れする姿勢は)世界の警察とか、Justiceとか言い張っているUSの行為としては、かなり矛盾があるのでは?さらに不満なのは、そんなUSのpolicyに異を唱えることのできない自分の国。日本。別にUSの全てのpolicyに盲目的に反対すべきと言っているのではなく、自分の価値観に照らして相応しくないと感じるものには反対すべきだと思う。USとしても、自分の同盟国(もしくは追従者)と思っている国から非難が上がれば少しは考えるのでは?とも思えるし。楽観的過ぎるか??

こんなことを思った今日。あぁ。。。これは今回のEssayには関係ない~。そして自分のEssayは進んでいない。。。なんとかしなきゃ。

ではでは。またね。
Tom