2018年8月25日土曜日

計画なんてしないほうがいい。でも情熱は必要だ。

新しい事業を考えたりするときに言われる「事業計画をだせ」というセリフ。

何をするためにいくらの投資をして、どれくらいのリターンがあるのか?ということは当然、判断をする人にとっては必要なのは理解できる。

でも、計画自体にどれくらい意味があるか?と言われれば、ほとんどないんじゃないのかな。だって、計画通りになんて進まないもの。だから、本当に必要なのは、計画を実行に移す段階で、常に何が最善なのかを試行錯誤して突き進む覚悟なんだと思う。

自分自身は本当に計画性なんて言葉とは縁がないんだよね。自分の人生のキャリアだって、計画的に考えてやってきたことなんてないし。いつも、ほんのちょっと先・もしくはその瞬間をどうやって生きるか?という近視眼的な考えしかもっていないw

確かに、中学生の頃に「世界を平和にするんだ」ということを人生の野望というか夢を持ったのはそうだけど、それをどう実現するか?なんていつもその場その場でどうしたらいいんだろう?と考えてきたイメージ。さらにいえば、そんなことすら考えていない時もあったw

年代別に何を思っていたかを書き出してみたら、本当に計画性なんて何もない。

中学生:
勉強がキライだから、大学受験はしたくない。だから、付属高に入るぞ!

高校生:
進路の2年目で理系か文系を選ぶ選択が必要になった時に少し悩む。科目としては、数学&理科と、社会&歴史が好きな科目。とはいえ、数学は赤点とったりで残念な感じw 付属というぬるま湯に油断して、勉強していなかったから。当然、勉強しなければ数学は顕著にできなくなる。微分なんて自分の人生で必要になる時なんてないだろ、とナメていたら、数年後に会計士の試験で微分が必要なことを知り、いそいそと高校数学の参考書を買って勉強し直したなw まぁ、悩んだ末に、社会&歴史のほうが好きだなーということで文系コースへgo!

大学生:
そろそろ子供の頃の夢「世界を平和にする!」を思い返しつつ、国際協力の道に進むか、一般の社会で働くかを天秤にかける。何のスキルも持たない新卒で国際協力の世界にいっても自分が使い物にならなかったときに残念すぎる、ということで、まずは資格とって5年は会社で働いて何かできる武器を身につけよう!ということでなんとなく会計士を選ぶ。会計士を選んだのは適当だけど、本気で勉強する。この瞬間は勉強のことしか考えていない。他のことなんて考える余裕は全くなかったw

会計士:
5年働いて会計士の仕事に魅力がなければ、もともとやりたかった国際協力の道に進んでみよう、ということで、とりあえず目の前の仕事をやれるだけやり尽くそう、という変なスイッチが入る。ぐりぐり働くのは楽しかったのもあって、ちょっと長居して6年。でも、やっぱ違うなーということで次の道を本屋さんで考える。国際協力の仕事をするには、大学院卒がまぁまぁの前提条件らしい、ということを会計士をやめる1年ほど前に知り、いそいそとリサーチを始めて、大学院への進学準備を始める。マジで大学院が必須(実際には院卒が多いだけだけど)なんて知らなかったから焦ったw

大学院:
紛争解決学という学問があると知って、まぁ、平和を勉強するなら、こういった学問かなーという軽い気持ちで、1年間の学生生活は楽しいだろうなーとあまり考えずに会計士を退職&留学。学生生活はやっぱり楽しかったw

無職:
大学院を終えて、ふと、やりたい仕事って具体的に何だろ?とプチ路頭に迷うw 特にこれといってやりたい仕事がみつからないので、普通に1年間ちょっと実家で無職生活をダラダラ送るw

NGO:
まぁ、さすがに何もしないのに飽きたので、じゃぁ、とりあえず働いてみるか!ということで日本紛争予防センターといういかにもそれ系な名前のNGOに就職。自分が実現したい平和のイメージって何なんだろ?と同僚と話しながら考えた結果、退職。

開発コンサル:
今の会社、アイ・シー・ネット。最初は、平和構築のイメージがまだ強くて、政府開発援助(ODA)の部署に入る。やっている中で、あれ?ここも違うなーと違和感を覚えた頃に、現在の民間企業の新興国進出が自分のやりたいことに一番イメージがぴったりだ!と気づく。はぁ、長かったな、ここまでw もちろん大事なのはこれからだ。

まぁ、これまで紆余曲折してきたのも意味がないとは思わないけど、ほぼ何も考えていない。開発コンサルなんて仕事があることを知ったのは、NGOの職員を辞めようと思っていたときに始めてどういったことやっている会社なんだろ?と調べ始めたくらい。そもそも入社したときに今の仕事はうちの会社にはなかったしw 計画性なんて言葉と自分はとーっても遠い存在だと思う。

ただ、どこに向かっていきたいのか?というイメージはあったけど。それを実現するために、最善なのはどのアプローチなんだろう?といつも考えている感じ。別に悩んではいないんだよね、あまり考えていないからw

で、新しい事業の立ち上げもこんな感じで、気楽に?とはいっても本気で、やるのがいいんじゃないのかなー、と。

計画したってうまくいくわけないんだから、そこらへんにあまり固執してもいけないんだろうな、と。

新しい事業を立ち上げようとするときには、社内であれ、社外であれ、説得する必要があるから、当然、計画書は作るけど、そんな計画書、自分が信じていないw 作れ!と言われるからもちろん作りましたけど、この計画通りになるなんて1ミリも思っていないですよw と普通に上司にも言っているし。

とはいえ、この事業を実現する意義は信じているので、何としても実現させます、と。結局、計画は役に立たないのだから、何かを始めようとするには、それを成し遂げるんだ、という覚悟というか情熱が必要なんだと思う。計画が役に立たないとわかったとき、自分が何のためにそれをやっているのか?を見出せないと、次の一歩がでないんじゃないかな。

すっごくいいかげんなような計画性のなさと、最後までやり遂げるという情熱、という2つの性格の組み合わせって一見変な感じもするけど、意外とベストマッチなんじゃないかなーと思ったり。

ではでは、またね。


2018年8月16日木曜日

適切なインセンティブの設計

動機付け。これはとても大事だと思う。

メンバーに望むのはどういった姿なのか、それを伝えなければいけない。

それが伝えるだけで、Maxの力を発揮してくれるような人だったら、そんな動機付けとか、ましてやインセンティブの設計なんていらない。

そう、ちゃんと伝えれば、分かるハズ。。。

そんな思い込みをしていた時もあった。

でも、なかなか人は目指す姿を提示されても、それだけでは動けない。

やっぱりインセンティブの設計がとても重要なんだ。

そんなことがようやく分かった気がするここ数年。なかなかこれが実感できるようになるまで時間がかかったw

で、インセンティブってどうやって設計したらいいのだろう?

メンバーに目指して欲しい理想の姿をインセンティブという動機付けにもとづいて設計するのが大事だと思う。

でも、理想の姿って、言葉で漠然と伝えることはできても、漠然としたイメージを伝えるだけじゃ、それこそしっかりとした動機付けにはならない。。。

目指して欲しい理想の姿を、わかりやすく伝えることが重要なんだ。

分かりやすい、ということで言えば、叙述的な形ではなく、数字で表される評価指標とかは分かりやすい。

でも、数字で評価しようと思っても、設計した数字がちゃんと「なって欲しい理想の姿」を表しているとは限らない。

目指して欲しい姿を数字で表そうとして、こういったことに積極的に取り組んで欲しい、というメッセージになるかな?と思って試しに考えたとしても、それがメンバーにどういった形で受け取られるのだろう?

数字による評価は一見すると分かりやすいようで、メッセージがシンプルだから、それを受け取る人の解釈はそれぞれ違ったりする。

つまり、シンプルに明確に表そうと思って設定した数字が、受け取る人によって、まったく違う形で理解されて、設計したのとは全くの別物のインセンティブになってしまうこともある。

これは言葉にも言えることだけど、文字や言葉で表せるから伝えることができる、という錯覚に陥りやすいけど、その文字をどうやって解釈するかは、結局、相手がどう理解するか?に依存している。

望む姿を分かりやすく伝えたくて、数字で設計しても、それを受け取った相手に自分が意図したようなイメージで伝わるとは限らないんだ。

なかなかインセンティブの設計も奥が深い。

まだまだ知らないいろんなことがたくさんあっておもしろい。

ではでは、またね。

2018年8月13日月曜日

自分が絶対に正しいなんてことはほぼない

絶対に自分が正しい、と主張する人

確かになにか自信を持てることがあるのはいいことだと思う

でも、絶対に自分が正しいなんて言い切れることなんてどれくらいあるだろうか?

もちろん、自分がどう思うか、という判断はひとそれぞれ持っていて当然だ。

でも、その価値観を他人にまで押し付けることができる絶対的なものなんてどれくらいあるのだろう?

自分の判断について自信をもってそういうことを言える人は、確かな自分を確立しているのか?

意外とその逆なんじゃないか?

ほんとに自分に自信があれば、意見が違う他人がいることも全然苦痛ではないはず。

自分に自信があるなら、他の人も自信を持って自分とは違う価値観を持っていることがあると知っているはず。

こんなことをいま書いている自分も、こんなことを考えるようになったのは、30を過ぎてしばらくしてから。つまりここ最近w

前は何かに悩んでいる身近な人がいたとしても、なんでそんな風に考えるんだろ?その悩みが自分が悩んだりしないようなことだったりしたら、もっと違う視点というか考え方で生きてみたら楽というか楽しいんじゃないかな、と不思議に思っていた時期が長い。正直。

で、行きついた先が、分かり合えない人をわかろうとするのではなく、自分が波長が合う人たちとしか一緒にいないというシンプルな作戦笑

仕事もプライベートも。

でも、仕事とかでより多くの人を巻き込んでいきたい、と考えるならこの考え方じゃダメだ。そう感じてる。

自分を基準に何かを考えたって、それは自分と似た人しか集まらない。もちろん、それは居心地がいいし、安心感もある。

でも、それじゃ大きくなれない。気がする。。。そもそも自分とドンピシャで波長が合う人なんて少なすぎるw

もっと多くの人たちを巻き込んでいくためには、より多くの人たちにも通じるメッセージというか考え方も取り入れていかなきゃいけないんだ。

自分としては、こういうのって苦手過ぎて笑えるくらいな分野だけど、ここを強化していきたいな。

ではでは、またね。

2018年8月4日土曜日

組織運営のリーダーシップ


組織運営のリーダーシップ

それこそ経営学とかでもいろいろ書かれているエリアの話

でも、いまだに自分としてしっくりくる考え方は見つけられずにいる。

例えば、強い組織を作ることが目的であるとして、
・チームワークを重視した運営をすることが強い組織につながるのか、
・個の力を高めることを重視した結果として強い組織になるのか、
といったことについて。

もちろん個々の人間が戦うのではなく、チームとして組織力を発揮できる方が圧倒的に強いに決まっている。

では、結果として強い組織を作るためにはリーダーは何を為すべきなのか?

チームワークを重視するという言葉の響きは美しい

評価の視点でも、連帯責任というかチーム全体のパフォーマンスを評価の基準にする、という仕組みを導入してみたこともあった。

確かにチームワークとしてはうまく機能したと思う。

でも、それが強いチームを作れたか?と言われたら、自信を持って、自分が強いチームを作り上げられた、とは言えない。

もちろん方向性は正しくとも、自分の力量が足りていなかっただけなのかもしれない。

メリットとしては、チームとしての一体感と同じ目的に突き進むという仲間意識の醸成。

でも他方で、自分が感じたチームのパフォーマンスを優先する組織運営は、結果として、チームに守られているという甘えを生んでしまったというウィークポイントもあると感じている。

個々人のスキルアップにつながっていたのか?という点では、残念ながら弱かったと思っている。連帯責任の元で、個人レベルで努力するという意識が希薄になってしまったというミスを犯してしまったと感じている。

これは自分のチーム運営の視点での反省点。

こういったことを踏まえて、まずは個の能力強化を最優先にした上で、その中でチームとしての一体感というか整合性を保てるような組織運営ができないか、今度は模索してみたいと思う。

個の能力強化に重点をおくデメリットは、組織としての連携に支障がでる可能性があること。

組織運営としてはハードルが高いアプローチかな、とも思うけど、強い個人を育てることから強い組織を作る、といったアプローチに挑戦してみたい。個人個人がバラバラにならないように、同じ目的に向かって進んでいく、という意識を常に持てるようにすることが大事なのかな、と考えたり。

そんなことを思うここ最近。

ではでは、またね。