2018年6月30日土曜日

迷走する組織に欠けているもの

組織とかチーム作りに関心を持つようになったのは、会計士を辞めてしばらくしてから。

監査法人にいた頃に、組織づくりと聞いたら、まっさきに頭に浮かんでたのは、会計や財務を中心とする手続きづくりのことだった。

今考える組織づくりは、手続きとかではなく、メンバーのモチベーションをどうやって高めていくか?という点。

監査法人であれば、それこそ組織もチームもすでにがっちりとできあがっていたし、逆にその中のチーム運営の仕方とかに問題があれば、それは人材のマネジメントの仕方が悪いんじゃないか、と思ってた。そこには、組織とかチームを作り上げていく、といった要素の一部しか含まれていない。

その後、経験した組織では、こういった組織づくりの大切さを学ぶには最適なシュチエーションで、なんとなく何をする組織なのか?はメンバーみなイメージを持っていつつも、それがメンバーの個人個人にとって何を意味しているのか?といったのがとても不明確で、かつ、場当たり的な活動をしているように感じられていたんだよね。

で、こういった状況を改善するために、どういったことを自分たちの組織の存在意義として明文化していくか?ということに取り組んだ。これが自分にとっての初めての組織の方向性とかをしっかりと考えるきっかけだった。

経営論でよく言われるビジョンとかミッションって考え方が大事なのだと、その時になって初めてちゃんと心の底から理解できた気がする。会計士の勉強をしていた時にも、試験科目にあるので、経営理論としてこういったビジョンとかミッションは、(テスト用に)言葉で表せばどういったものか?とかそれはなんのためにあるのか?を説明できるようにはなっていたけど、実感として、身を以て感じたのはこのときかな。

いろんな定義の仕方があるけど、自分が思うビジョンとミッションは、
ビジョン:目指すべき世界として、どんな世界を実現したいかを表すもの
ミッション:ビジョンを実現するために、具体的な行動指針として、何をなすべきかを示すもの
という感じ。

組織全体で設定するビジョン&ミッションはもちろん必要だけど、社内に異なった事業領域で活動する組織があるなら、そういった下部組織ごとに会社のビジョン&ミッションに沿ったビジョン&ミッションがあるべきなのだ思う。

会社全体として目指すビジョンは同じでも、事業領域が異なるなら、そのビジョンを実現するためにとるべきアプローチ(ミッション)は違うはず。だって、それぞれ持っている武器が違うのだから。

自分としては、部署とかチームごとにビジョンやミッションを持っていることが自然なことだと思うけど(もちろん組織全体の方向性に一致したものであるという前提条件つきで)、意外なことにこういったものをしっかり明文化しよう、という考え方は少数派なのかもしれない。

だから、組織が迷走する。

あまり大きすぎる組織全体のビジョン&ミッションが、下部組織のレベルでの行動指針として使うには漠然としていて具体的な効力を持たないこともあるんだ。

ビジョン&ミッションがなかったり不明瞭な組織のメンバーは路頭に迷う。だって、自分たちは何を目指して、そのために何をすべきなのか?といった判断指針がないのだから。何をなすべきか?を定めるということは、同時に、うちとしてはこういったことは(できるけど)やらない、ということを明確に定めることでもある。

マネジメントが提示する個別具体的な指示の内容が毎年のようにコロコロ変わる、採用する人材に一貫性がない、メンバーに出す業務指示がいったい何の役に立つのかわからずメンバーが疲弊する、、、

こういった状況に陥っている組織は、メンバーの間で、ビジョン&ミッションがしっかりと共有されていないことが大きな原因なのだと思う。

では、下部組織のレベルでのビジョン&ミッションをちゃんと設定すれば、それで組織はよくなるのだろうか?

何もないカオスな状況からは、だいぶ改善するとは思うけど、もっと自律的な組織として活動していくためには、さらにその下のビジョン&ミッションとして、個人のレベルでの目標設定を各人が持てたらな、と思う。

それはつまり、個人レベルで、
ビジョン:自分はどういった世界を実現したいと思っているのか?
ミッション:ビジョンを実現するために、自分は何をすべきなのか?それは自分が能力的にできることであってもビジョンにつながらない仕事はしない、という判断基準でもある。
といったことを考える必要もあるのかな、と。

組織のビジョン&ミッションは、それを設定することができる立場になければ、すぐには設定できないけど、個人レベルのビジョン&ミッションなら、自分が考えれば設定できるものだから、自分が今所属している組織にビジョンやミッションがない、と嘆いている人がいれば、まずは自分が何をしたいのか?を考えてみるのがオススメ。

このプロセスは、自分ができること(能力)とかをロジカルに考えるのではなくて、自分の心が何をしたいと考えているのか?をひっそりと考えるプロセスなのかな、とも思う。

そんな目標なんて、いま、思いつかないよ。。。

という人も、まぁ、焦らずに。

自分だって、今、個人的に持っているビジョン&ミッションは、時間の経過とともに変わりつつあるものだから。でも、根本的なビジョンは、自分の心がこれをやりたい!と思っていることでもあるから、そこはあまり変わらないw

子供のころに考えていたイメージを、ビジョン&ミッションにあてはめるなら、
ビジョン:平和な世界
ミッション:平和構築(注:手段は不明w)
くらいのイメージしかなかった。だって何も知らないんだから笑

それから20年近くたった今なら、
ビジョン:本気でしっかりと勉強や働く努力をした人が、自分の人生を選択することができる世界(それが自分の思う平和な世界)を実現する
ミッション:新興国でビジネスの立ち上げを通じて、ビジネスに関わる地元の人が安定的な収入が得ることで、自身や子供の将来に希望を持てるようにする
と、かなり変わってきている。

個人レベルの目標なんだから、これはどういった目標を設定するのか?はそれこそ自由だ。一人一人の心が願うことなんだから、それに優劣というかこれはよい夢(目標)で、これは悪い夢(目標)なんてことは、そこにはないのだから。とはいえ、さすがに他人の自由や夢を踏みにじるような夢には賛同できないけど。

自分の仲のよい友達にも、毎日楽しく笑って生きていきたい、と本気で話すひともいる。それもいいじゃん。それを実現するために、何をしていこうか?という指針を持てたら、その人の人生も楽しいはず。

そんなことを思ったここ最近。

こういったことを考えているときは楽しい。

ではでは、またね。

2018年6月19日火曜日

課題解決について思うこと

課題がたくさんある、という状況は自分にとっては楽しい状況。

逆に課題が全然ないとやることがなくてヒマすぎて退屈してしまう。

まぁ、どんな状況でも課題がない、なんてことはほとんどないのだろうけど、やっぱり目の前に課題がたくさん見えている状況が好き。

その課題にどうやってアプローチしていこうかな?と考えるのは楽しい。

でも、目の前に見えている課題だけを解決するだけではいけないこともあると思う。

直近の課題を解決した後、どんな世界を目指しているのか?といったことまで思いを巡らせるようにしたい。

対処療法的なアプローチも即座には必要なのだろうけど、それをした後にどこに向かうのか?といった目指すべき姿というものをいつも持ち続けられるようにしたいな。

もちろん、どこを目指すのか?ということはなかなかいい答えが見つからない。だから悩むし、それが楽しくもあるけど、やっぱり見つけたい。

そんなことを思った今夜。

ではでは、またね。

2018年6月5日火曜日

何も知らないということを知っているか?世界はブラックボックスだらけ

子供のころから世界のどんなところでも生きていけるような人になりたいな、となんとなく思っていた。

それなりに過酷な環境でもいつも通りの精神状態で生きていけてるので、ある意味この目標は達成できているのかな、とも思う。

でも、これは別に、サバイバル的な1人の個体としてどんな環境でも生きていけるようになりたいというものではなく(もちろんできたらカッコいいなwとも思うけど)、集団の中で生きていくことができればそれはそれでいいと思う。

ほんとに1人でぽつんと放り出されたりしたら、まじで何もできない。

会計士とかビジネスプランを考えるのが少し得意、といったスキルなんて、個体として生きていくには何の役にもたたない。それよりも食事(農業・漁業)とか、家を立てる(建築)とか、移動手段を確保する、というのが差し迫った課題になるはずだ。でも、自分は何一つできない笑

まぁ、それはそれで悔やんでいたりなんてしていないし、自分の選択なんだから、いいと思うけど。

つまり、いろんな人がいろんな役割を担ってくれているおかげで、その中で、自分自身も役に立てる部分があるんだ、ということ。知らないことだらけで、逆に知っていることの方が少ないのだと。

で、知らないより知っている方がよい気はする。でも、あらゆることを知っていることにどれくらい価値があるのだろうか?

例えば、自動車。これもほとんど知らない。ガソリン(電気自動車でなければ)を入れてアクセルを踏めば運転できる、それだけ知って入れば十分じゃないのかな?たった1人で自動車を組み立てることができる知識を普通の人は必要としていない。

インターネットやパソコンだってそう。こうやってブログを見てくれている人のうち、どれだけの人が、インターネットやパソコンという仕組みがどうやってゼロから構築されているのか知っているのか。その全てを知っている人なんてほぼいない。

こういった仕組みを知らなければインターネットやパソコンが使えないのか?といったらそうじゃない。大抵の人はそんなこと知らなくったって、普通に使っている。

大事なのは、そいういった仕組みを全部知っていることじゃなくて、それをどう使うか?を考えることなのだと思う。

もちろん、数は少ないけど、その仕組み自体を詳しく知らなければいけないエンジニアと呼ばれる職種の人はいる。でも、そうでなければ、一般の人にとっては、そういった技術やテクノロジーをどうやって活用するか?の方が圧倒的に大事だ。

インターネットやパソコンはあまりに当たり前になりすぎて、みんな気にも止めずにつかっているけど、今は新しい技術と言われるもので謎に満ちた存在であっても、それが当たり前に生活の一部になる日がくるかもしれない。

そうなった時に、その仕組みがどうやって動いているのか?なんてディテールを問う人なんてほぼいないはずだ。そこで問われるのは、その技術をどうやって活用できるのか?を考える力のはずだ。

ほとんどの人は自分も含めて周りの身近な世界すら何も知らないのに、何も知っていないということすら忘れてしまっている人がいる。

別に知らないことが悪いんじゃない。何でも知っているつもりになっているという勘違いが一番やっかいなのかも、と思う。

何も知らなくていいわけじゃない、どこまでは知っているべきで、どこからは知らなくてよいのか、そこを理解していることが大事なんじゃないかな。

そんなことを思う。

ではでは、またね。

2018年6月4日月曜日

理想と現実

理想と現実について

確か、前にこのテーマでブログ書いたことあったなーと思って探してみたらあった、2008年の投稿「Just War 2」に。

なんだか今読み返してみると、文体も違っていて、なんか浮かれているというか軽快?軽い?感じがプチ恥ずかしい笑

まぁ、今から10才も若かったんだから、とあまり気にしないで行こうw

で、文体は今風に直すとして、その時は「理想主義49% & 現実主義51%」が自分の目指すところと考えていたらしい。ほぼ拮抗しているけど、少しだけ現実主義者。

確かに両方が必要だという感覚、それは今も同じ。

現実を語るだけでそこに目指すべき理想がなければつまらないし、逆に理想を語るけれどもそこ至るために現実を踏まえたアプローチがなければその理想は何のためにあるのか?

そう思うと、あんまり変わっていないな。自分w 変わらないことがいいことなのかはケースバイケースだとも思うけど。

でも、ほんの少しだけ変わったとしたら、今は「理想主義6割 &  現実主義4割」なのかな、とも思う。

自分が目指すべき理想とする姿があって、そこに向かうために現実にアプローチしていきたい。そこで原動力となるのは、やっぱり夢、とうか理想がなければつまらない。そして理想は実現するためにある。そう信じて進むのみ!

この傾向がずっと続くならば、最後は理想100%を語るようなおじいちゃんになれたらいいのかな、とも思う。

現実は所詮こんなもんだよ、と冷めた人になるのではなく、世界はもっとよくなる、と理想を語って次の世代に期待をもてるようなおじいちゃんになりたいな。

そんなことを思うここ最近。

ではでは、またね。