2009年2月7日土曜日

Religious Actors in Conflict

ふふ。ちょっと珍しいでしょ? この時間にupするなんて。まぁ、誰も自分がいつblogを更新するか、なんて興味ないだろうけどね(笑)今日は、この後はいつもながら飲みに出かけるので、今思っていることを忘れないうちに書いてしまおう! と。

次のテーマは、Religious Actors in Conflict。どうなんだろ。なんか“Religious Leadersは紛争解決に貢献できる”という主張に、自分は半分賛成&半分否定的。賛成の部分は、そのReligious Leaderが属するcommunity内で、non-violentな方法での利害の対立の解消が出来る土壌を築くってことに関してはpositiveな影響力を行使できるとは思うけど。

でも、(思想的or宗教/宗派的に)対立するグループとの間のmediation(日本語では仲裁??)には不向きだと思う。宗教的なback groundがある人(leader)だと各グループ間の考え方に対する理解が深いし、宗教的に何が正しいのか? を示せるからメリットがあるって訴えている人がいるけど。。。でも、mediatorの役割は、“宗教の教義的に”何が正しいのか? を探ることではないと思うんだよね。どちらの解釈がより正しいか? なんてことに意味はないと思う。逆にどちらが正しいなんて結論とかを一方のグループに押し付ける方向にmediationが進んでしまうと、その(非難を受けた)グループはプロセスから離脱してしまうリスクの方が大きいと思う。

Mediationで重要なのは、なぜ対立しあうグループが“宗教的な教義”を掲げて活動を行っているのか? というもっと根源的な原因を探ることにあると思う。そこが全ての対話の出発点だと思うし。そう思うと、宗教的な価値観を共有することが別にmediatorに必要な条件ではないと思うし、その部分はmediator本来の役割からは独立(無関係な)した要素だと思う。まぁ、もちろんそう言う指導者にある“平和に貢献したい”という強い意志は価値があると思うけどね。

そう。自分的にはこのある意味宗教的な価値観に無関係な日本にはmediatorの素質はあると思うんだけどね。どうなんだろ。もちろん全く宗教的に空白ではなく、神道とか仏教の価値観がこの社会に生きているとは思うけど。でも、この状況はあまりに日本固有だから、外の人には分からないハズ。多くの紛争地に存在するReligious Actorsにとっては、この日本的な宗教(自分の中ではどちらかと言うと道徳とか倫理感に近いものって思っているけど)は(紛争当事者の)どちら側にも与しない、という点でadvantageになったらいいな~という願いのようなもの。

個人的な願いとしては、もっと日本が主体的に紛争地でのmediationの役割を果たせばいいのに、って。大抵の紛争地では、“日本”って聞いても特にニュートラルなイメージしかないだろうから(良くも悪くも過去半世紀ほど積極的に外交を行っていなかったおかげで)、mediatorには向いていると思うんだよね。特にUNって聞いて、“USのAgentでしょ?”的なnegativeなイメージを持つようなグループに対しては。まぁ、日本もUSのいいなり、と思われているとも言えるけど。。。そこはちょっと悲しいとこ。

さぁ、今日は珍しくハシゴ計画。しかも2次会はどこに連れて行かれるのか不明(笑)友達のポーランド人の友達の家でやっているホームパーティに流れ込むらしい。当初の予定では、その友達のポーランド人と飲むはずだったのに、いつの間にか。

ではでは。またね。
Tom