2009年3月4日水曜日

Religion & Conflict

ようやく戻って来たよ。勉強机の前にね(笑)
なんたって後10日もしないうちにSri Lankaに旅立つので、それまでにessayを1個書かなきゃいけないし。。。

と言う訳で、今回のessayのテーマは宗教と紛争。宗教が必ずしも紛争の原因になるとは思わないけど、実際に多くの紛争で宗教的な側面があるのも事実。。。なんで? と軽く不思議。ちらっと考えて見た理由は:

①世界観の提供:よく分からない自分が今存在する周りの世界に対する意味付けを与えてくれる宗教は、安心感につながる。考えてもよく分からない混沌とした世界に意味(解釈)を与えてくれるのは、やっぱり生きるのが楽になる気が。だって、“なんで?”とか“どうすべきなんだ?” と頻繁に自問自答して考えなくてよくなるでしょ? それはシンプルだと思う。

②死ぬことの恐怖:人は死ぬことが怖いから、シンプルに来世とかあの世で、“今の人生の続き”を約束してくれる宗教が心地よい。たぶん、年齢を重ねると宗教を信じる人が増えるってのはこの理由かな。まぁ、こう言っている自分もいつか年を重ねた時に宗教に縋りたくなっているかも知れないけどね(笑)

③来世への約束:現状が惨めであっても、宗教的な教義に従って敬虔に人生を全うすれば来世で報われるという約束も人の心を紛らわせる効果があるようにも。“今を精一杯(神・宗教の為に)生きれば次で報われる”的な。

これらが紛争と結びつくと手ごわい気がする。①で敵対グループに対する武力の行使を正当化する理由を与え、②で(現世での幸せではなくて)来世に期待をして命を懸け、③で神とか宗教の為と信じて戦いをしている人がいたとして、そんな人にどうやって平和の重要さを語りかけていいかは正直分からない。。。だって信じちゃっているんだもの。

まぁ、とは言いつつも、宗教が根源的な紛争の原因だとは思わないんだよね。何か別の要因が原因であって、それを訴える手段として宗教を掲げているって気が。政治の一つの手段として。そうであるなら、対話による解決は可能だと思う。

と言う訳で、宗教的な要素を掲げているグループに対しては、“宗教の教義として正しい解釈(非暴力とか共存)”を説くのでは不十分だと思う。まぁ、そもそもそんな話をしたところで、相手は聞く耳を持たないだろうし。だから“なぜ彼らが暴力に訴えてまで紛争に加わっているのか?”という根源的な理由を知る必要があるってのが思うところ。

う~ん、思いつくままに書き綴ったので、いま一つ読んでいる人に伝わっているのか微妙だけど。

そうそう。確定申告に初挑戦♪ 危うく忘れかけていたよ。自分は絶対“還付を受ける側”だからしないと損。と言う訳で、やってみたよ。でも、ホントに還付されるのかな? 軽く不安。

ではでは。またね。
Tom