2009年8月6日木曜日

Traditional Society

何をもって”traditional”と認識するのかって難しいと思う。人生が長くて80年程度だとすると、そういう社会で影響力のある人(たとえば40代~50代とか)が育った時代背景に近いものが伝統的であると認識されるのではないか? とも思ったり。

例えば、“最近の人は分からない”的なコメントで文句を言っているのが、その最たる例だと思う。人も社会も変わるものなのに。別にある一定の層を超えた人にとって“分からない”ってのがそんなに問題だとは思わない。そんな人たちだって、ちょっと遡れば”理解できない人たち”って分類されていたんだし。中学生頃の記憶だろうから、全く不確かだけど、平安時代かそれくらいの古い記録の中にも、“最近の若者の考え方にはついていけない”的な愚痴が記されていたらしい。その時代の“若者”なんて今から思えば千年以上の昔のおじいちゃん・おばあちゃんを遠く通り越したような存在の人たち。そんな時代からみれば今生きている人なんて全部分からないことだらけなのでは??(笑)

そこら辺の混同がAfghanistanでも起きている気が。“アフガンでの伝統的な社会構造に配慮した国造り”って言う場合に、何を(どの時点を)基準とするのか?って。Sovietが侵攻してから新たに生まれたwarlords (軍閥??) が影響力を持つ社会構造に配慮するのか、それ以前のもっと古い年配者が政治意思決定を行っていた時代までさかのぼるのか? って。今のところ、nation-buildingのprocessで重視 (利用??) されているのはwarlordsと言われる民兵組織のleader達な気が。。。果たしてそれでいいのだろうか??

まぁ、こんなことを考え始めた最初のきっかけは、子供の頃の国語の勉強をしていた頃。なんで、文法とかを勉強しなければいけないのか、って。まぁ、実際には文法問題が出ない高校を第一志望に受験したから、文法は勉強せずに無視したけど(笑) だって、今の文法なんていったい何を基準に価値を見出しているのか? 、と。たった百年程度さかのぼって明治か大正の時代ですら、今とは違う日本語が主流だったのに。つまり、思ったのは言葉なんて生きているんだから、理解できて喋れれば問題ないではないか! と。

まぁ、国語ができなかったいい訳だけどね。ついでに、もう一つキライだった理由は、”作者の意図は何でしょう?”的な質問。”知るか!”、と(笑) どちらかと言ったら、作者が何を考えているか? ではなくて、自分がどう感じたか? 何を思ったか? の方が大事じゃない!? と塾の国語の先生に言ったら怒られた(笑) 時たままぐれで点数が良かった時は、作者の思考パターンと自分の思考パターンが同じだった時。驚いた先生が、”どうした?” と聞いてきたので、”作者はいいことを言っているよね。だって俺と考えていること同じだから(笑)”って返答したら、また呆れられた。

まぁ、文量は少ないのですが、今日のメインはAfghanistanだったんだけど。伝わっているかな?? まぁ、またアフガン系はupする機会があるだろうし。まぁ、いいか。

ではでは。またね。
Tom