2018年5月27日日曜日

異なる視点の対話

同じテーマを扱っているのに、宗派というか思考回路というかそういった根本的な部分で相容れないグループの存在。

例えば、平和学と戦争学。

どちらも紛争や戦争を研究するし、その目的は平和の実現にあるはず。

個人的には、戦争学は平和を実現する手段として戦争(武力の行使)に積極的とも言える気もする一方で、平和学は戦争や暴力そのものを否定することで平和を実現しようとしているとも言えると思う。

とはいえ、どちらも目指している先は、平和の実現だったりする。このテーマについてはこちらのブログを見てね:戦争学と平和学

だけど、この両者、超絶仲が悪い。それこそ根本的な宗派というか思想で相容れない。まぁ、なんとなく伝わると思うけど。

で、ちょっと残念だなーと思うのは、自分が平和学をやっていた時に、確かにちらっとは戦争学っぽい考え方についても触れたけど、自分の記憶では、Just War Theory(正義の戦争に関する理論)といういかにも平和学が否定しそうな正義の戦争といえる戦争があるのか?というディスカッションのためのいわゆるサンドバック役としてでてきたんだよね。

平和学の中でいろんな議論はあるけど、そもそも同じジャンルを扱っているはずの戦争学の視点から、彼らが思いっきり平和学的なアプローチを否定している部分については、扱っていないと思うんだよね(カリキュラムの中から、自分が見落としているだけかもしれないけど)

それは、国連とかNGOによる紛争への中途半端(もっとストレートに非難も込めて“偽善的な”と書かれることも)な介入が、結果としてより深刻な暴力的な紛争のきっかけにしかなっていない、という平和学的な介入を信念とする人たちにとっては耳が痛い指摘。

聞きたくない批判には目を背けて仲間内で議論しているだけじゃ、それこそ平和について研究する様々な分野の知見を活用した平和の実現なんてできないんじゃないのかな?

なんとなくそんなことを思う。もちろん、自分自身としては、平和学の方が自分の思考には近いと感じるし、そういった戦争学の批判もある部分ではあっているけど、視点を変えたらやっぱりそれは違う、とも言えると思うし。

これって同じことが新興国や開発途上国への援助(ODA)と民間企業の取り組みについても言えると思うんだよね。

自分はたまたま両方の仕事をする機会があって、個人的に感じてるのはこの2つのアプローチも相当に宗派というか根本的な思想が違う集団で構成されているなーということ。

どちらも世界をよりよくしたいとか、新興国の人たちの生活をよりよくしたい、というような同じ目的のために活動していると思うんだけど、なかなか同じ視点で物事を考えたり、同じ言葉で会話することが難しい。

でも、だからといって、バラバラにやっていくよりも、やっぱりお互いの意図というか考え方に違いを認めて、それでも建設的な対話をしていこう、という風にできたらいいな。

そんなことを思ったここ最近。

ではでは、またね。