2018年5月25日金曜日

状況の変化とコミュニケーションのタイミング

同じ景色を見ているのに、この先は危険につながっていると感じるタイミングは人それぞれ。

どんな人も目の前に危険が迫る or 危険の真っ只中におかれれば大抵は、あ、やばい、と気づくけど。

で、やばい状況が近づきつつあるか?をなるべく早く察知するのって大事だと思うけど、これって自分だけが気づいても周りが理解していない時ってなかなか難しい。

やばい状況が迫ってるのだから、当然(何も問題意識を持っていないメンバーも巻き込んで)今までのフォーメーションやアプローチを変えて対応するのが最善と考えていたけど、これってとても疲れる。。。

メンバーからすれば、そんなことする必要がないのに強制的にやりかたを変えさせられる、という不満もたまるし。だって何もする必要なんて感じていないのだから、そんなことをする意味が説明してもなかなか伝わらない。

同じ景色を見ていても、それをどう捉えるかは人によって全然違うんだ。

逆に、すっごくダメな気もするけど、あ、このまま進むと地獄を見るな、と数ヶ月とかそれなりに前に感じたとして、ある意味、ほとんどみんながそれを自覚するまでほっといて、危機感が蔓延した頃に、じゃぁ、こうしよ!と話しかける方がよっぽど楽。

本人たちも地獄をちょっと味わったはずでそんなのイヤだとは思うし事前に回避できるなら回避した方がよくない?とも思うけど、逆に、そういった危機感を自覚していないと、たぶん、人に何を言われても実感として納得して行動できないってのもあるんだろうな。

致命傷にならないくらいのやばさなら、あえて放っておくというのも一つの方法かも。そんなことを思う。

なので、同じ景色を見ていて、同じような感度で危機感というかやばさを感じれる人はいい。意思統一までに無駄がないのでアクションもはやく取れるし。

そして、自分が常に絶対に最初に気づくなんてわけはないから、誰かが自分よりも先に何か異変に気づいたら、そういった人の言葉に耳を傾けることができる心のあり方でいたいな。

そんなことを思ったり。

ではでは、またね。