2018年6月5日火曜日

何も知らないということを知っているか?世界はブラックボックスだらけ

子供のころから世界のどんなところでも生きていけるような人になりたいな、となんとなく思っていた。

それなりに過酷な環境でもいつも通りの精神状態で生きていけてるので、ある意味この目標は達成できているのかな、とも思う。

でも、これは別に、サバイバル的な1人の個体としてどんな環境でも生きていけるようになりたいというものではなく(もちろんできたらカッコいいなwとも思うけど)、集団の中で生きていくことができればそれはそれでいいと思う。

ほんとに1人でぽつんと放り出されたりしたら、まじで何もできない。

会計士とかビジネスプランを考えるのが少し得意、といったスキルなんて、個体として生きていくには何の役にもたたない。それよりも食事(農業・漁業)とか、家を立てる(建築)とか、移動手段を確保する、というのが差し迫った課題になるはずだ。でも、自分は何一つできない笑

まぁ、それはそれで悔やんでいたりなんてしていないし、自分の選択なんだから、いいと思うけど。

つまり、いろんな人がいろんな役割を担ってくれているおかげで、その中で、自分自身も役に立てる部分があるんだ、ということ。知らないことだらけで、逆に知っていることの方が少ないのだと。

で、知らないより知っている方がよい気はする。でも、あらゆることを知っていることにどれくらい価値があるのだろうか?

例えば、自動車。これもほとんど知らない。ガソリン(電気自動車でなければ)を入れてアクセルを踏めば運転できる、それだけ知って入れば十分じゃないのかな?たった1人で自動車を組み立てることができる知識を普通の人は必要としていない。

インターネットやパソコンだってそう。こうやってブログを見てくれている人のうち、どれだけの人が、インターネットやパソコンという仕組みがどうやってゼロから構築されているのか知っているのか。その全てを知っている人なんてほぼいない。

こういった仕組みを知らなければインターネットやパソコンが使えないのか?といったらそうじゃない。大抵の人はそんなこと知らなくったって、普通に使っている。

大事なのは、そいういった仕組みを全部知っていることじゃなくて、それをどう使うか?を考えることなのだと思う。

もちろん、数は少ないけど、その仕組み自体を詳しく知らなければいけないエンジニアと呼ばれる職種の人はいる。でも、そうでなければ、一般の人にとっては、そういった技術やテクノロジーをどうやって活用するか?の方が圧倒的に大事だ。

インターネットやパソコンはあまりに当たり前になりすぎて、みんな気にも止めずにつかっているけど、今は新しい技術と言われるもので謎に満ちた存在であっても、それが当たり前に生活の一部になる日がくるかもしれない。

そうなった時に、その仕組みがどうやって動いているのか?なんてディテールを問う人なんてほぼいないはずだ。そこで問われるのは、その技術をどうやって活用できるのか?を考える力のはずだ。

ほとんどの人は自分も含めて周りの身近な世界すら何も知らないのに、何も知っていないということすら忘れてしまっている人がいる。

別に知らないことが悪いんじゃない。何でも知っているつもりになっているという勘違いが一番やっかいなのかも、と思う。

何も知らなくていいわけじゃない、どこまでは知っているべきで、どこからは知らなくてよいのか、そこを理解していることが大事なんじゃないかな。

そんなことを思う。

ではでは、またね。