2017年12月20日水曜日

独裁者と引き際

独裁という言葉の響きは悪い。

独裁が弾圧や虐殺を指すのであれば、もちろん、そんなの自分も受け入れられない。

その一方で、独裁が「強烈なリーダーシップ」を指すものとして考えたらどうだろう?

置かれた状況の中で対処すべき課題は無数にあるなかで、優先順位を定めて、それに集中して取り組む、それは強烈なリーダシップでもあるのではないか。

中途半端に意思決定ができず、政策の安定性がない国よりも、独裁者によって一貫した開発計画が実行に移されてきた国の方が経済的に発展することもある。

でも、独裁の弱さもある。

独裁が特定の個人の場合、結局、その個人が認識できる課題、そしてその個人が考えつく対策、それがキャパの限界。個人が全ての意思決定をする以上、その人のキャパを超えた課題には対処できないのだと。

例えば、戦うことにかけて才能を発揮したリーダーがいたとして、敵を打ち倒した先に新しい国家を作り上げていく段階になった時に、そのリーダーは国づくりという局面においても最高のリーダシップを発揮できるだろうか?

開発途上国のリーダーとして、経済成長を最優先事項に掲げて経済成長を達成してきた初期のリーダーが、多様な産業や新しいテクノロジーといったものを取り込んでいかなければ経済成長が難しかったり、国民が経済成長だけでなく政治参加の権利や、自由な言論を望むような局面に達した時、その新しい状況でも最高のリーダシップを発揮し続けられるだろうか?

これは国づくりといった大きなテーマだけでなく、ビジネスの組織運営といったところでも共通すると思う。

過去の困難な状況を乗り越えてきたという自負や自信も手伝ってか、新しい状況になっても、自分がやれる、という錯覚に成功したリーダーが陥りやすいのも、まぁ、人なのでそういうものなのだとも思う。

とても難しいことではあるけど、そういった困難な局面に立ち向かったリーダー達が目指した世界が実現できた時、そのリーダー達がもっとも力を発揮できた過去の状況とは違う状況を作り出したのはリーダー自分自身であるということ。

なので、リーダーには引き際がとても大事なのだと。自分が得意な状況が(目的を達成して)去ってしまった時、その新しい状況で、もっとも力を発揮できる次の人にリーダーの立場を譲ることができること。それが理想のリーダーなのかな、と思う。

すっごく稀に、状況が変われば、その状況の変化に応じてリーダシップのスタイルを変えることができるリーダーもいるのかもしれない。でもそういった人はほんとに少ない気がする。

なので、自分が一番好きな(力を発揮できる)状況を理解して、そこで活躍できれば、それが一番いいのだろう、と思う。

自分が好きなのは、カオスな乱戦状態。この先、どういった状況になるかはわからない状況で戦っていくのが好きな性格。

正直、自分としては、全員の合意のもとに物事を進める、というアプローチには否定的。何が正解かわからないカオスな状況の中で、みんなが満足する、それぞれがやりたいことを、全員の意思を尊重してやっていくなんて効率が悪すぎる。

自分が今この瞬間、最もよいと思うアプローチを考えて、それに突き進んでいくのが好き。アプローチが今ひとつうまくいかないな、と思えば、また、次のアプローチを考えればいいだけのこと。

その一方で、カオスな状況を乗り越えられたら、それは、次に状況を体系立ててシステム化していくことが好きな人に役割を譲ればいいと。

そして、自分は次のカオスなワクワクするフィールドに転戦していけばいいのだと。

そんなカオスな戦いが大好きな人たちとチームを組んでやっていけたら、楽しいだろうな。

ではでは、またね。